10:00ホテルをチェックアウト。電話代などで295ポンドの支払い。
もはや現金は8ポンドほどしかない。
クレジットカードの使えるタクシーさがしに手間取ってしまう。
タクシー扉に使えるクレジットカードが表示されてはいるのだが、
小さな表示なので近くまで来ないと判らない・・。
ロンドン ウォータールー駅(Waterloo Sta.)に辿りつくと、
「フランスにてストが行われています。あちら側の都合でユーロスターの遅れ、運休
の可能性があります。またフランス側についてからの移動手段がない可能性も
あります」
との張り紙。 ゲゲッ!!なんちゅうこっちゃ!!
幸い私の座席指定のある列車は運行するようだ。
セキュリティチェックが厳しいと聞いていたがなぜかフリーパス。
セキュリティを待つ列を横目にそのまま待合に案内される、なんでだろ(?.?)。
11:58 に発車。
アナウンスや表示は英語・フランス語で行われる。
列車内の座席配置は1−2、座席の前後方向は固定、車両の中心あたりが
対面BOX型式となり、大きめのテーブルがある。
TGVの車両に準じているらしい。揺れがなく、乗り心地極めて良好。
だが、私の座席は進行方向に後ろ向きで しかも窓と窓のはざま・・・・(>.<)。
窓の間には鏡があり、反対側の窓の景色が映るようになっているので、
圧迫感はない。
1両に一人スチュワーデス(?)がおり、ウェルカムドリンクや新聞・雑誌
のサービスなど 旅客機を意識したサービス体系。
機内食風の食事も運賃に含まれている。赤/白のワインが各2種類ずつから選べる。
・生ハムとメロンの前菜:ハムが美味しい。
・ラムあるいはツナのソテー:ツナを選んだが焼き過ぎでパサパサ。
・フルーツタルトとゴディバのチョコ2個入りBOX
この食事サービス自体が2時間ほどかけて行われ、食べるために列車に乗っている
ような気分になる。
窓の外は「のどかーーーな田園風景」「草原に羊」が続き、海が見れないまま
ドーバー海峡トンネルへ。ナポレオンやエッフェルが夢見たドーバー越えの
トンネルは22分かけて通過。その間にパスポートチェック。
国境を越えたとたん、アナウンスがフランス語・英語の順に切り替わる。
1等はビジネスのオジサンがほとんど。前の座席の老夫婦と私ぐらいが観光客。
二人は結婚48年の記念で新婚旅行で訪れたパリに行くイギリス人。
いろいろあって、二人でパリに行くのはやっと2度目、だから新婚旅行の時と
同じホテルを予約してあるそうな (ええ話やねぇ^.^)。
しかし・・・空き腹にワインをノンだにしても酔いの回りが早すぎる。
体がフラフラしはじめている・・・ヘンだ なんかへんだ。
時差も含めて17:20にパリ北駅(Gare du Nord)に着く、
雨が降っていてやたらと寒い。日本でいう冬だ。体も熱っぽい。風邪をひいたようだ。
駅のCitiBankで500フラン下ろし、当座の現金を確保。
ストではあるが、地下鉄とタクシーは動いている。
後で知ったのだが、もっとひどい時はタクシーもストとなり、公共交通
がまったく動かないらしい。
タクシーにてホテル「クールセル・エトワール(Courcells Etoile)」へ。
51フランの料金表示なのに71フランを請求される。
カタコトの英語でのオッサンの説明では
「あの駅は国際線だから、空港と同じなんだ。空港からのタクシーは
割り増しがかかるんだ」
・・・・ボラれたと思う(>.<)。
広場のそばのこじんまりした3つ星ホテルでは やせぎすのフランス女性が
一人フロントにいただけだった。そしてここで問題が判明。
パリにはクールセル大通り(Bd. de Courcell)という名前の凱旋門(Arc de
Triomphe)
からのびる大通りがあり、このホテルがその通りに面しているものだとばかり
思っていた。
しかし パリにはもうひとつクールセル通り(Rue de Courcell)というのがあり、
このホテルはそっちに面してるのであった。凱旋門からの距離はゆうに二倍の2km。
メトロの駅のそばで、マル・ジュアン広場(Pl. du Mal Juin)すぐという立地であった。
あちらもフランスなまりの英語、こちらも日本語なまりの英語で意志疎通が
思うようにいかず、ホテルの場所の確認に15分もかかってしまう。
ここまで フランスで意志疎通ができないとは・・・
どうしよう「フランティック」状態だぁ(;.;)。
崩れた体調をおして、5日間有効のパリ・ビジット(Paris Visite)を買い、街へ。
パリ・ビジットは地下鉄、RER(高速郊外鉄道)が乗り放題になる。
2日間、3日間有効のもあり、5日間有効で170フラン。
せっかくでかけた街はストのためいろんな事ができずじまい。
イタリア行きの座席予約ができず、木曜日は22:00まで開いてるはずの
プランタン(Printemps)も19:00で閉店・・・・
メトロはロンドンの地下鉄より雰囲気が悪く、案内も判りにくい
(言葉の問題だけでなく)。
後で知ったが地元の人でも夜(9:30以降?)はメトロを避けるそうだ。
車内放送、構内放送は基本的に何もない。降りる駅の確認は窓からホームの
駅名をしっかり確認する必要がある。
日本と違い車両毎の移動に連結器の通路は使えず、ドアは取っ手レバーを
引き上げて開ける半自動。ボヤボヤしていると乗り降りができなくなる。
ヘロヘロになってホテルに戻り、近所のスーパーにてペリエ、イチゴ等購入。
夕食はカフェにてハムサンド(フランスパンで作ったやつ)とオレンジジュースで
30フランなり。
体がつらい。持参の風邪薬をのみベッドへ。
・・・・逢えなかった友達、予想外のホテルの位置、崩した体調、
通じない英語、判らないフランス語、まだ長いこの先・・・・
どんどん気分が滅入ったまま眠りについた。明日がどんな日になるかも知らずに。
パリでのガイドブックは「昭文社 個人旅行21 パリ」 これも地図が詳しく
歩き派にはありがたい。ただメトロの路線図が見難い(まぁ モトがややこしいせい
もあるのだが)のと カタカナのフリガナ地名が現地では通じない事が多々あった
のが難である。
フランス国鉄のペレール・ルヴァロワ(Pereire Levallois)駅にてミラノ行き
座席指定を予約。22日8:20発直通TGVにて、指定料金150フラン
ロンドンでのディナーのために持ち込んだジャケットを使わないのも勿体無いので
JCBプラザでミラノのホテルと星付きレストランの予約を依頼。
二つ星レストランで21日のディナーがとれる・・・
しかし一人でいくのが寂しいのはたしか(はぁ -.-;)。
予約カードを受取りにオペラ座ちかくのJCBプラザへ行く。
ホテルの近くの駅からは乗り換え無しなのだが、さっそくどっち方向に乗ればいいか
で迷う(;.;)。
なんとかたどりついたJCBプラザでジュンク堂書店とポンピドーセンターの
サイバーカフェ(Cyber Cafe)でE−Mailが送れるという情報を入手。
とりあえず日本語で発信できるというジュンク堂へ向かう。
途中、ヴァン・クリフ・エ・アーぺル(Van Cleef & Arpels)、ホテル
リッツ(Ritz)、
ゴディバ(Godiva)などを見物。ゴディバと通りをはさんだ宝飾店で
「ティファニーのスイスアーミーナイフ 1000フラン」
を見つけるも、最終日に買いに来ようとガイドブックの地図にマークしただけ。
(これを今 俺はモーレツに後悔している ;.;)
ジュンク堂では残念ながらNTTが実験で占有中とのことでE−Mailは打てず。
ついでにフランス語の日本マンガ(士郎正宗の攻殻機動隊)などを購入。
近所なので「ルーブル美術館(Musee
du Louvre)」へ行く事にする。
パリでの行動は行き当たりばったり(^.^;)。
それにしてもパリの街には美人ばかり。ロンドンにも美人は多く街を歩けば
2割は「美人」だったのが、こちらは4割。しかもオシャレである。
ルーブル美術館、入場料45フラン。
セキュリティは厳しいが予想以上にすんなり入場、平日だからであろうか?
いきなり入った部屋には「メデューサ号の筏」(ジェリコー作)、続いては
「ナポレオンの戴冠式」
そのすばらしさ、サイズの迫力! しかもガラスケース
などという無粋なものもない。
写真撮影もOKとくれば「名画と私」を撮らなくては!(^o^)/
そしてルーブルといえば 「モナ・リザ」である。つらつらと「モナ・リザ」の
部屋へ。モナ・リザだけはガラスケースの向うに微笑んでいた。
ついに彼女に逢えた・・・ なるほど名作とはこういうモノをいうのだな。
元宮殿だったルーブルは展示物もさることながら、その壁や天井の装飾も美しい。
ルーブルの中は日本人をはじめ観光客も多いが、小学生、リセエンヌの団体も
また多く、本物にこうして気軽に接することのできる彼らが羨ましい。
それに彼らもまた勉強熱心で 説明や解説をこまめにメモし、展示物のスケッチに
励んでいる。
うろうろと流れて、これまた有名な「サモトラケのニケ」に至る。
そばにいらした日本人女性(二十代半ばくらいの上品な人)にシャッター押しを
依頼、こころよく受けてくださる。
様々な絵画や彫刻の質に圧倒されつつ部屋を巡っていく。
同じような順路で巡っているせいか、先程の女性を何度も見かける。
あちらも お一人なのかしらん(?.?)。
とある絵画の前で 写真どうしようかなぁ・・・ と迷っていると
「よろしかったら、シャッター押しましょうか? (^_^)」と先程の女性。
あら嬉しい(^0^)! と おしゃべり。
東京から今朝パリに着いたばかりで一人旅中とのこと、立ち話もなんなので
館内のカフェへ、そして判ったのはこの女性がフランス語ペラペラだということ!
立居振る舞いも上品なこの人、タニグチさんは公立医療機関の秘書さん。
大阪朝日放送の「中浜 葉月」系の美人である(ってマイナーなたとえやぞ
^.^;)。
現在休暇中で ブダペスト旅行のついでに 友達のいるパリで遊ぼうとパリへ
入ったが、肝心の友達が病気で今晩しか逢えないハプニングに遭遇、
で時間潰しにルーブルに入ったとのこと。
ん・・訪ねた友達が病気で予定が変わった? なんかどこかで聞いたような話だ(^_^;)。
「学生さんなんですか?」
「いやぁ、働いてるんですよぅ(^.^;)」
「あら、ごめんなさい」
「いえいえ、こんな格好で独りフラフラしてれば社会人とは 思えませんものねぇ」
「お若く見えますよぉ」
「えへへへ、でも もうXX才なんです」
「えーーー!(*.*)」
そないに驚かいでもええのに(^.^;)
お互いのパリでのホテルと日本でのE−Mailアドレスを交換する。
「でもフランス語がペラペラなんですね?!」
「いいえ ペラペラなんて・・・・
まぁ、いちおう仏文科ですので、普通の方の英会話ぐらいには話せるだけです」
だが、色々と教えていただいたプロフィールは
高校進学時点で「フランス語で何かしたい」と日仏学院にも通い、
フランス語に励む。
大学仏文科進学時点でフランス政府主催のホームステイ計画に参加、
以来パリには3度、都合半年に渡って滞在。
どうやら 「普通」の基準が私と違うらしいぞ(^.^;)。
さらには・・・
パリには今朝4:00に到着。機内では隣席のミシュランのエグゼクティブ
と話込み大変だった、こうして日本語で喋れるのが楽しい。
これで4回目のパリながら、パリを「観光」したことがないので 凱旋門にも
エッフェル塔にも登ったことがない。
今回パリで逢うはずだったのは学生時代からの友達で、そのためパリの
予定がなくなってしまった。
とのこと。
「ところで日高さん、アルザスに行きませんか?」
「えっ? アルザス?? あの ドイツ国境のですか?」
「そうです。パリより 田舎の方がフランスは楽しいですし、友達とも
逢えなくなったんで 明日ストラスブールに行こうと計画してたとこ
なんです、いきませんか?」
うむ、せっかくのお誘いだ。
「パリからどれくらい 時間かかりますか?」
「列車で4時間ぐらいです」
なら 1日アルザスに費やすのもいいかぁ
「もちろん 日帰りなんですよねぇ?」
「え? 私は一泊する計画ですが・・・」
うーうー さすがに2日費やすのは 苦しい・・・・
「それは・・・ちょっと 厳しいですぅ」
「やっぱり・・・そうですよねぇ、日高さん最初のパリですものねぇ・・・」
「それより、パリでゆっくりしませんか?」
お互い自分のプランに引き込もうとしているようだ(^.^;)。
いずれにせよ20日の夜は空いてるので そしたらその日の夕食は一緒しましょうと
話がまとまる。
そろそろ お昼時なので いったんルーブルを出て食事にでもということになる。
ルーブルはその日のうちなら再入場可能なのだ。
さて、タニグチさんのT/C現金化に同行、ついで今日逢うというお友達に電話・・
「すいません、予定が変わってしまって・・・今からすぐなら
逢えるそうなので ちょっと行ってきます。 それで今晩の予定が空いたんですけど」
「じゃぁ 今晩、ちゃんとしたとこ食べにいきません?」
「えぇ そうしましょう。じゃ・・・ここオペラ座に5:00ということで」
「はい。レストラン手配して待ってます(^_-)」
「お願いします (^_^)」
と タニグチさんはお友達のもとへ。
なんか ヒョンなことになったもんだ。
さっそくJCBプラザで予約の変更を依頼する。
レストランの指定がなければ2つ星でもなんとかなるようで、
フォージュロン(Faugeron)というお店に予約がとれる、ラッキー!
5:00までは、ルーブルに戻り「ミロのヴィーナス」などなどへ。
めったに見れない背中も見る(^_^)。
ルーブルといい、大英博物館といい、人類の宝なのは確かだ。
pm5:00 パリ オペラ座前、降り頻る雨の中、女性を待つ・・・なんか嬉しい。
(お馬鹿さんである ^_^;)
ほどなく タニグチさんと落ち合い、タニグチさんもまだ登ったことがないという
凱旋門へ向かう。
メトロの道中では、地下鉄の駅名表示板の見つけ方、正しい発音でのフランス語での
あいさつ、1〜10までの読み方、昔の地下鉄には1等と2等の区別があった・・・
等など 初歩のフランス語会話、他を教わる。
特に 場所を聞く「ウー エステ〜 ?」と お別れのあいさつ「オー[r] ヴォワー[r]」の
二つは あとあと大変役にたった。
凱旋門ではなぜかやたらと警官が目につく。上りエレベータは32フラン。
雨にけむるパリはモノクロ写真のような 落ち着いた色彩のパノラマを広げていた。
エッフェル塔がその天辺を雲に隠しているのも風流なものである。
雨がひどくなったので 20分ほどで屋上から降りる。下りは階段のみ、途中階には
凱旋門の歴史やその壁に刻まれた彫刻や名前の解説の展示館。
つづいては長い長い長い螺旋階段。私は本当に目が回ってしまった。
降りると警官が多い理由が判る。何かの式典日だったようで、音楽隊の演奏式の
あと、シャンゼリゼを行進していった(何の式典だろう ?.?)。
レストランが2つ星なので男性はジャケット必要。で 私のホテルに寄って着替え。
スーツの持ち込みが無駄にならずによかったよかった。
ほぼ予約時間とおりにレストランに到着。
美味しいシャンパンで 偶然のよんだ楽しいディナーを乾杯。
タニグチさんのフランス語でのギャルソンとのやりとりを私はボヤーと
見てるだけ状態。
JCBメニューとかで二人にワイン1本と前菜・魚・肉・デザートをいろいろ選んで
800フランとのこと。
メニュには日本語の説明もあり、価格的にもお得のよう。ただし女性のメニューにも
値段が載っているのは問題ありだぞ JCB!(^.^#)
・ワインはボルドーの87年
・前菜 私は 半熟卵のトリュフピュレソース
タニグチさんは フォアグラのテリーヌ
・ヒラメのポアレ シャンパンソース
・野兎のロティ(?) グリエ(?)
・デザート 私は リンゴのソテとスフレのとりあわせ
タニグチさんは ミルフィーユ、チョコソース
美味いよー! 美味い! けど ちょっと量が多い・・・
舌は食べたがるのに おなかに入らないという 嬉しいような悲しいような状態に(;.;)。
綺麗なお姉さんとの楽しい食事は、お仕事のこと、フランス語の勉強のこと、
パソコンソフトのことと 会話も楽しくあっというまの3時間・・・
「・・・今朝 3:00について ちょっと疲れてるみたいですねぇ・・・
アルザス行き どうしようかなぁ・・・」
「パリでゆっくりしたほうがいいですよぅ」
「そうですねぇ・・・ゆっくり眠って のんびりした方がいいかしら・・・」
「えぇ、そしたら又 夕飯ご一緒できますしぃ、そうしましょうよ!」
で タニグチさんをホテルに送って、私もホテルへ。
思いもかけず 素敵な人と出会えた幸運を喜びながら 眠る。
8:00 タニグチさんより電話
「日高さん! 一晩ぐっすり眠ったら、体調も回復したみたいなんで
アルザスに行ってみます。で・・申し訳ないんですが 明日の夜に
予定を切り替えてくださいませんか?」
「えぇ、かまいませんが・・いつぐらいに?」
「とりあえず、またオペラ座前に5:00ということで。きちんと
帰りの時間がきまったらご連絡しますから」
「はい、では どうか お気をつけて!(^.^)/」
「はい。いってきます(^_^)」
うーん、ちょっと残念。昨日、断わらずにアルザスに行った方がよかったかなぁ(?.?)
今日は土曜日。となれば のみの市をひやかしてみよう! と決め
クリニャンクール(Clignancourt)へ向かう。
財布には200フランのみ。のみの市は現金商売のはずだから、これぐらいなら
まぁ騙されても被害としては小さかろうとの計算(だが これは甘かった ^_^;)。
メトロの駅 ポルト・ドゥ・クリニャンクール(Porte de Clignancourt)はちょっと
治安的な雰囲気が悪い。大阪の「動物園前」駅に近いものがある。
駅から出てすぐ、縁日屋台のような露店で雑貨類、お土産が売られている。
出発前に冗談で言っていた
「エッフェル塔の横に回転式日付カレンダーのついた置物」
という東京タワーの天辺で売ってるのと大差ないのも実在した(^_^)。
ブラブラとドンドン奥に行くと、「旧ソ連製 VOLGAのミニカー」とか
「真鍮のドアの取っ手だけの店」といった珍品、珍商売(?)。
さらには移民らしき人達の「店ですらない、衣服販売」まである。
路傍に大きな鞄を置き、そこから取り出した商品を手でかざして商うのである。
どうもこれは違法らしく、警察の巡回があるとバタバタと鞄に商品をしまっていく。
そして通りすぎると商売再開である。
まぁそうした「形式」で お互いを認めあっている節がある。
2時間ほどブラブラ冷やかしていく。
ちょっとおなかも空いたので「ホットドッグ」屋をのぞく。
「バゲット1/2 に ソーセージ2本」という迫力サイズに諦める。
そんなには食えない。
さてさて 昨日までと違い、地下鉄もスイスイと乗り換えられ、街の人達との
コミュニケーションもスムースにいく。
タニグチさんの初歩レクチャのお蔭である、大感謝(^.^)/。
ミリタリー放出品屋にて「ペンチ付き 十徳ナイフ SOG」を
見つけるも450フラン。値引き交渉には一切応じてくれず、諦める。
まぁ これは国内でも買えるものであるし。
アンティーク時計屋に遭遇。30年代のクロノグラフ腕時計が5万フラン・・・
買えんなぁ(^^;;;)。
だが、
「クロノ付き懐中時計に腕巻きベルトを付けたもの」
完動品で状態が極めてよいものが 2000フラン。
こちらの英語+カタコトフランス語 と あちらのカタコト英語+怒濤のフランス語
からなんとかわかったのは
「1939年から40年に作られたパイロット向けの時計で、今でも時計として
きちんと動くモノ」
しかもVISAカードが使える・・・。
がぜん張り切って値段交渉・・・1500フランにて購入。
しかし、後になって冷静に考えると「状態が良すぎる」のだ・・・。
いくらなんでも、もう60年ちかく前の時計の文字盤が日焼けしていないし、
ガラスに傷一つないなんて・・・・・ しまったぁ!!(>.<)。
まぁ 珍しい時計が手に入ったと納得することにする。
帰国後、中を調べるとムーブも極めて美品。モノとしてもフランス組上げ
なのは確認。完全にレストアされたか、デッドストックか、はたまた
フェイクかは未だ謎のまま(^.^;;)
他に「船舶・海洋ものアンティーク屋」にて 六分儀が4000フラン、
それらを含めた「航海計測グッズ一式」5万フラン などなどを
「見てるだけー」状態でひやかしていく。
お昼までいて、タニグチさんご推薦の
「サクレ・クール寺院(Basilique
de Sacre-C[oe]ur)」へ向かう。
土曜日のせいか人出がスゴイ。メトロ駅アンヴェール(Anvers)からむかって左手の
ケーブルカーにて丘を登る。白亜の寺院建築が美しく中ではミサの真っ最中。
讃美歌のコーラスがクワンクワン反響して感動。
なぜかドームも地下も入れず。
続いて隣のテアトル広場(Place du Tertre)へ。
彫刻に成りきりパフォーマンスの人、絵描きなど芸術家がうじゃうじゃ。
似顔絵描きの誘いも多い。
「似顔絵はいかが? あなた 日本人?」
「ええ」
「オォ、ワタシ ニホンジン ノ トモダチ タクサン イマス。
ニホンジン タクサン シッテマス」
「はぁ」
「アナタ、ワカイコロ ノ ミヤモト ムサシ ニ ソックリ ネ!!」
おいおい 会ったことねぇだろ!(^.^)
広場に面したカフェにて昼食しつつ、似顔絵を描いてもらってる人達を見物。
ハムチーズのせクレープ(美味い!)+オレンジジュースで 90フラン。
オ・ラパン・アジル(Au Lapin Agile)も見物。ピカソやユリトロの無名時代に
通った酒場だそうだが、外から見る分にはただの小さな家にすぎない。
14:30ごろ ポンピドーセンター(Centre Georges Pompidou)のサイバーカフェへ
1時間50フランで友達にE−Mailを発信。
ところがところが、ここのキーボードが「フランス式」なのであった。
「A」や「M」、「Q」のキー位置が違うので、打ち込みに3倍くらい時間が
かかってしまう。
結局 疲れてしまい、ポンピドーの中の見学はせずに外へ。
フォーラム・デ・アル(Forum
des Halles)ショッピングセンターをブラブラして西へ。
オルガンで有名らしい、サントゥスタッシュ教会(Eglise
St Eustace)へ・・・
「ボン・ジュー・・・・・」
入った瞬間 言葉を無くす。ステンドグラスの光と石壁のコントラスト。
人が少ない事もあいまって、その圧倒的な雰囲気にのまれてしまう。
思わず涙ぐんでいたことは 内緒である(*^.^*)。
さらにパレ・ロワイヤル(Palais Royal)まで歩く道すがら、
「ペルシャの弦楽器弾き」に出会う。こちらが日本人と聞くと「四季の歌」を
演奏してくれる。誰が教えたのやら。
パレ・ロワイヤルは現在ショッピングアーケード。
「サロン ドュ パレ ロワイヤル シセイドー」を覗くが「オー ド トワレ」が
600フランなりに驚いて出てくる。
17:30 フォーション(Fauchon)に至る。
サロン・ド・テはもう閉店でお茶は飲めず。お総菜コーナーで今晩の夕食を揃える
ことにする。
・クレーム・ブリュレ(いきなりお菓子かい!^.^)
芳醇なバニラの香りが美味い。27フラン
・フォアグラ入りパテパイ包み 100gちょいで 33フラン
クレーム・ブリュレは容器のデポジットとして19フランを別途とられる(>.<)。
次回、容器を持ち込めば買い物額から引いてくれるとのことらしい。
ホテルにもどり、広場の向かい有名レストラン「アピシウス(Apicius)」の隣りの
ブーランジュリー「クレマン(Clement)」にてパンほかを購入。
・ミニミニバゲット
・クロワッサン
・ほうれん草のキッシュ
・チョコケーキ(イドル)
全部で31フラン。このブーランジュリー大当たり! パンも美味いがケーキも美味い!
チョコケーキにはカスタード、バニラ系二種、ベリー系二種、チョコの6層もの
ムースが詰まってたったの12フラン!
さて、こちらでカスタードの類いを食べて判ったのが「卵の匂い」。
お菓子の本などで
「普通の日本の卵は親鶏の餌に魚粉を混ぜるので、黄身を加熱すると魚臭い」
という記述があり、「ほう そういうものかいなぁ(?.?)」と漠然と思っていたが
こちらの卵には確かに「匂い」がない!
これまで「卵の匂い」と思い込んでいたのはその「魚臭さ」だったのだ!
(ガーーーン *.*)
美味しいけど 一人の食事はやっぱりちょっと寂しい、
のみの市のことも思うと アルザスに行けばよかったと反省しきり(^.^;)。
TV、RTC(ドイツ語放送)では「ミスコンテスト+平成女学院」のような
バラエティ。チャンネル3(?)では由緒正しそうな建物(5F建ての石造り)を
使った「風雲たけし城」のような視聴者参加ゲーム番組。
CNNでは「ロシアの給料遅配のスト。ついにモスクワ空港に及ぶ」とのニュース。
不安になるがその後の続報なし。
雑誌スタンドで買った「PHOTO」 モデルエージェント ELITE特集で
美人のてんこもり。
11:00 ストラスブールのタニグチさんより電話
「こちらはいいですよー! 日高さんもいらっしゃればよかったのに(^_^)。
明日はこちらを2:00に出る列車で帰ります。
パリ東駅に6:30に待ち合わせでお願いします」
とのこと。やっぱり行けばよかった(^.^;;)。
10:00 ノートルダム寺院(Chathedrale Notre Dame)に至る。
中は日曜のミサの真っ最中で礼拝の人と観光客でごった返している。
ステンドグラス、石の回廊、説教の声。10フランの寄進にて蝋燭を灯す。
塔に登ろうと38フラン払って入場。誰も列を作っていない理由がすぐに判る。
階段しかない(>.<)
まぁ次回に登れる体力があるか怪しいのでよしとする。
北塔の展示コーナーには日本語解説あり。土産コーナーもあるのだが、ココの
売り子のお姉さん(美人)は毎日階段を登っているのであろうか(!.!)。
北塔 −> 南塔 −> 南塔の天辺へ・・・ すばらしい眺め。
昨日出かけたサクレクール寺院、エッフェル塔、凱旋門、セーヌ川・・パリ市街の
だいたいの位置関係が把握出来る。
どこからか 鐘の音が響いて雰囲気も上々、バンクーバーからの観光客さんと話し込む。
景色を楽しんで下の広場に出た途端、「ノートルダムの鐘」がガランゴロンと
鳴り出す。うーん もう少しいればよかった。
サント・シャトル(Saint Chapelle)へ。
ノートルダムに比べればこじんまりとした教会。天井の青と一面の百合の紋章が
印象的。ここもステンドグラスが美しい。
隣のコンシェルジュリー(Conciergerie)へ。
フランス革命での牢獄、ここを出るときは処刑されるときという死刑囚が最後の時を
過ごした場所だそうだ。
蝋人形で「マリー・アントワネット」の部屋等が再現されている。
当時、ここでは「家賃」を取っていたそうで、その値段毎での部屋の違いも再現。
一番安い部屋は「四畳半程度の部屋にわら敷き、家具無し、3人詰め」、
次は「担架のようなベッド付き、二人部屋」、一番高価らしいのは「机、ベッド、
椅子付きの一人部屋」・・・・「地獄の沙汰も金次第」とはよくいったものだ。
オランジュリー美術館(Musee de l'Orangerie)横の広場のカフェで昼食
・卵入り蕎麦クレープ:半熟卵が美味しい
・オレンジジュース
・リンゴ一個:紅玉のように酸味と固さがあって美味しい
で60フランなり。
ギャルソンのオジサンがカッコイイ。キビキビした動きと客捌きをぼーーとみてしまう。
すぐ側のセーヌ川沿い道路では 「パリ市民ハーフマラソン(?)」らしく、
大量の素人ランナーが走って、沿道の応援を受けていた。
今日はそういうイベントの日なのだろう、「4人一組のオリエンテーリング」の
ようなグループもいくつも見かける。ただ、どのチームも筋骨ガッシリの軍人風な
人達が地図を片手に汗みずくになりながら走り回っている。よほど苛酷な大会の
ようだ。
オランジュリー美術館にて、印象派系の作品をみて、目玉の「モネの睡蓮」に。
二部屋にわたる8枚もの大作は なるほど「名作」である。
「透明な水」が幾重もの色の重なり、揺らぎに描き出されている・・・
これが78才を過ぎた晩年の作品だというのだから やはり芸術家ってのは
特別な人達なのだと痛感する。
教会、美術館ときて、最後はシャイヨー宮(Palais de Chaillot)の
海洋博物館(Musee de la Marine)へ行く。日曜とあってか、ここは子ども連れで
大賑わい。入場に15分ほど並ぶ。
展示は帆船や船舶装具などなど。館内中央の「トロフィー・ジュール・ベルヌ」と
ある長さ1m50cmほどの細長い銀色の物体、船体殻のような形状のそれは
なぜかガラスケースの中で「宙空に浮いている」、どんなメカニズムか判然と
しないが不思議なオブジェである。
シャンゼリゼ通り(Av. des Champs-Elysees)のCitiBankのATMは
日本語表示あり、残金22万円なりを確認。
いったん ホテルに戻るとタニグチさんからフランス語での電話メッセージメモ
まぁ日本語ではホテル側で受け付けられる人がいないからだが(でも スゴイ^.^;)。
フロントの黒人のお姉さんが英訳してくれたところ「列車20:00着に変更」
とのこと。
このホテルにはフロント担当が4人いて、時間帯などで交替しているらしい。
初日のチェックインにいた やせぎすのフランス人おばさんは英語が苦手で
意志疎通が難しかったが、このお姉さんは英語もできるのと、愛想もよく
親切なので大変たすかる。
19:30パリ東駅へ、駅のカフェにて時間を潰す。
おとといに続き、パリの待ち合わせその2。
パリ東駅、ストラスブールから戻る女性を待つ・・・・
おぉ 映画のようなシチュエーションぢゃないか(コレコレ ^_^)。
20:06 タニグチさん帰る。
「ごめんなさい、お待たせしてしまって・・
予定の列車が運休になってしまったので・・・」
「大丈夫です。ホテルのメッセージ受け取りましたから(^_^)」
「よかったぁ、ちゃんとメッセージが届いたかずっと心配してたんです」
なんか とてもいい人。
「ところで こうした場合に使う、お帰りなさい! って フランス語で
なんていうんですか?」
「・・・特にありませんねぇ、ボンジュールとかボンソワーです」
あらら、案外フランス語もそっけないものだ。
さてさて
アルザスはとっても良い所で食事もおいしい。
行きの列車ではまたもフランス人のおじさんにつかまって話し込み、疲れた。
(まぁ フランス語ができるかわいい日本女性となればねぇ ^_^)
日高さんもくればよかったのに。
いやまったくです・・と 楽しい報告を聞く。
夕食はこのあたりに多いらしいモロッコ料理「クスクス(CUSU-CUSU)」を食べようと
決定。駅から南へのびるストラスブール大通り(Bd. de Strasbourg)を探すも
見つからず(>.<)。
しかたなく一旦、オペラ座のタニグチさんのホテルへ向かい、その側の店に行くべく
タクシーに乗る。駅から西へ向かったとたん「CUSU−CUSU」の看板・・・・
探す方向が違っていたのだった・・・(^_^;)
そしてホテル側のクスクス屋、親父さんとても愛想よく、タニグチさん本領発揮で
フランス語飛び交う。
おやじさんいわく・・・
パリ−ダカールラリーの日本人チームにコックとして参加したことがある。
日本人はちょっとしか食べずによく働く、俺達はたくさん食べるが
ちょっとしか働かないだよ(^_^)。
などなど。
クスクス定食は50フランで前菜とクスクス各種、デザートが一品ずつ選べる。
前菜:卵とツナを薄い春巻の皮のようなもので包んで焼いたもの。
オムレツサイズ。魚の味がみょうに和風で美味しい。
サラダ:グリーンサラダに赤いドレッシング。ドレッシングが劇辛!!
クスクス:ソース(?)に肉団子(直径5cmも!)が2つずつで
ボリュームたっぷり。粟に似たクスクスはほんのりと甘く、アクも
なくて美味しい。
デザートは揚げ菓子が主。「試食して選びなさい」との言葉に甘え、
カリントウのようなのを少し貰う・・・折り口から蜜が糸を引く
こってりの甘さ!!!
見かけで選んだ「クスクスの焼きケーキ」も糖分たっぷりの甘さ、
タニグチさんの選んだ「菱餅」も ココナッツ風味でこってり甘い。
デザートはともかく、料理は美味しい。おじさんも陽気で楽しい店・・・でも
店名が判らない(^.^;;)。
食後、タニグチさんもまだ登ったことがないというエッフェル塔(Tour Eiffel)へ。
23:00まで登れるのでタクシーを飛ばす。
やわらかな灯りにライトアップされたエッフェル塔はなるほど
「鉄で作ったレース編み」である、その繊細なシルエットの美しいこと。
ところがところが、夜10時を過ぎたというのにエッフェル塔のエレベータには
長蛇の列。最後尾がほんとうに登れるのか怪しいほどの行列に登るのは諦める。
「もう4回目のパリですのにねぇ。
私、いつエッフェル塔に登れるんでしょうねぇ(^_^;)」
「次はきっと 登れますよぉ」
根拠のない励ましである(^.^;;)。
塔の周辺を散策しつつフランス語初歩レクチャーその2など
「エッフェル塔の発音は トゥール・エッフェルではなく、Tour Eiffel
(ト−ゥ・エッフェルと聞こえた)なんですよ。r音は発音が難しい
んですよねぇ」
「ふむふむ」
「それに 日高さんのホテルの住所もクールセルではなくて Courcelles
(クーゥッ セル と聞こえた)ですから、なかなか難しいですよ」
「えぇ! ガイドブックにはクールセル と あるんですが・・・」
「その読み方ではまず通じません。タクシーとかでは紙に書いた方がずっと早いです」
ゲゲゲ! ガイドブックのカタカナでは通じないわけだ・・・。
楽しい時間はあっというまに過ぎ、タニグチさんは明日ブダペストへ。
タクシーにてホテルまでもどり、また ぜひ日本でお会いしたいと
お互いの旅の無事を祈ってお別れ。
ほんとうにいい人に出会えたと思う。ただ一つアルザス行きのお誘いを断わって
しまったことが悔やまれて仕方がない。
トロカデロで降り、シャイヨー宮のテラスからの眺めは「パリとエッフェル」という
タイトルでもつくような定番の、そして迫力の風景。
10:30にエッフェル塔北口に着く。アジア人(台湾?)の一団40人ほどがいたが
個人乗り場はガラガラ。エッフェル塔に登るなら朝の方が良いようだ。
56フランで最上階の展望台へ。鉄骨はけっこう薄くて細い。
鋳鉄製ならではの特徴だろうか(?.?)
雨上がりの綿雲がグラン・ダルシェ(Grande Arche)が霞む方向から次々にやってくる。
強い風に流されてくる雲の動きはダイナミックでパリのパノラマをドラマティックに
演出してくれる。
最上階にはエッフェルとエジソンの対談を再現した部屋があり、その中には当時の
大正天皇から贈られた勲章(従三位だったとおもう)の賞状(?)も飾られている。
設計思想が東京タワーと違うので、強風の最上階でも全然揺れない。
お昼になったので、ヴィクトル・ユーゴー大通り(Av. Victor Hugo)の
お菓子屋ルノートル(Lenotre)へ。ケーキ2個、サンドウィッチ1個で67フランなり。
フランボワーズの載ったタルトの香りの立ち方のすばらしいこと。
時期的にはもう旬を過ぎているはずなのに、鮮烈な香りが衝撃的でさえある。
久しぶりに日本に電話しようとカルネ50度数40フランなりを買うも18日から
電話番号システムが変更されているのを忘れていて失敗。
JCBプラザにてミラノのホテルの予約手配書を受け取る。
パリ−>ローマを一日では移動できないし、夜行列車は出発までの時間が
中途半端なのでミラノでの一泊を選択。どうせ一泊なら豪華にいこうと
「センチュリータワー」一泊29万リラなりの高級ホテルを予約。
もう午後3時。凱旋門で写真を撮り、ゆらゆらとシャンゼリゼ散策する。
午後からは雲のない晴天で大変暑い。
ここ美食の都パリにもアメリカ系ファーストフードショップの侵出著しく、
ハーゲンダッツがシャンゼリゼにテラスを出している。
ハーゲンダッツはサービスで「水」がでる。これが水道水かどうかは不明。
ここでフランボワーズシェイク40フランにて道行く人をぼーーと眺める。
そしてパリに着いてからの疑問が確信に変わる。
「パリジェンヌにデブはいない」
二日目ぐらいからずーと引っ掛かってきたことだが、パリの娘さんと呼べる
年代の女性(10代後半から20代)の人達に太った人がいないのである。
ほんとは広いパリの事、太った人も小太りの人もいるはずなのに全然見かけない。
パリは女性に体重制限を設けているのであろうか(そんなことあるかい!
^_^;)
シャンゼリゼの並木に電灯デコレーションを施しているのを、写真に撮っていると
栃木からきた電飾業界の社長さんに話しかけられる。ヨーロッパ各国を巡って
電飾の調査を行う研修旅行中だそう。
通り沿いのアエロフロートにてリコンファーム。ローマで出発時間の変更がないか
確認するよう指示される。
ヴァージン・メガストアにてフランス語のロック、Pops、ジャズCDを購入。
続いて、二日目に地図にチェックした店に「ティファニーのスイスアーミーナイフ」を
購入に向かう・・・・が 今日は定休日で買えず(しまったぁ>.<)。
落胆・・・ゴディバにてパッション+カプチーノアイス16フランをやけ食い。
パリ最大のデパート、ギャラリーラファイエットへアールヌーボー様式のドームを
見に行く。
「シセイドー」がファッション展を開催中。本物のモデルさんのパフォーマンス。
中には「豹の剥製と 後ろ向きで全裸の女性」というのもあり。
ホテルに戻り、いつものパン屋さんクレマンへ夕食の買い出しにいき、
きのこのキッシュ、チーズロール、チョコケーキで40フラン。
・・・が ホテルの隣りのシーフードレストランのオイスターにひかれて入ってしまう。
オイスター6個、シードル、ノルマンディサラダ(グリーンサラダにリンゴ、
炒めたベーコン、バルサミコのドレッシング + 揚げ立てチーズ 丸一個)で
123フラン。
サラダのドレッシングとチーズとの取り合わせが大変美味しい。オイスターも美味い。
部屋でキッシュとデザートを食うとさすがに眠くなる、
フロントにモーニングコール依頼し、明日の移動準備。
さてパリの5日間、出だしはストだの風邪だので不調だったが、旅の
醍醐味「見知らぬ人との出会い」ができてなによりなにより。
楽しい旅となった。
明日からは、最後の国イタリアである。