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第一章 プロローグ
1991年 3月 大阪
高度成長期の訪れと共に慌ただしく掛け巡る人々の足として、航空機が身近になったことに応え阪神高速とともに始まったリムジンバス。現在、一日の乗客数万をかぞえ、かつての伊丹飛行場、現在近畿圏唯一の国際空港である大阪国際空港と商都大阪を結ぶ、そのバスは暮れはじめた阪神高速を難波へ向けてひた走っていた。
薄暗い車内灯が旅の疲れと運転席後ろの回転広告を物憂げに浮かび上がらせている。地下鉄の階段にまで広告スペースを見い出す大阪商人の性だろうか「リムジン」と名乗るものにまで
こんな広告を入れてしまうのは。その鈍いモーターが、広告を都ホテルから、丸ビル最上階の「河斗」に変えようとしたときだった。
二車線しかない阪神高速の左車線を走っていた 大阪国際空港発 難波行きリムジンバスが爆発音とともに炎に包まれ、地上げ屋のBMWが突っ込み回転しながら右車線を塞ぎ、トラック連合「うたまろ会」の万艦飾の車体が横転する。
・・・・・
「なんで、うちが二人分はらわんなんのよっ」
プリプリしながら、レジに向かった陽子は、レジのそばのTVにすいよせられた。
「臨時ニュース 本日午後6時47分ごろ、阪神高速において難波行き空港リムジンバスが爆発炎上し、多数の死傷者が出た模様。」
「なんやの、これ。難波行きゆうたら、浩二はんが乗ってるやつやんか」
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第二章「幾松 八番改め、・・・・」
日本橋電機商店協賛会事務局連絡二課所属 永尾輝彦は御堂筋を北に向かい、西本願寺津村別院、通称「北御堂」の脇の古いビルへと入っていった。エレベーターを4階で降り長い廊下の先のマホガニーのドアを開けるのはこれが2度目だった。永尾輝彦、彼はまたの名を「幾松
八番」と呼ばれる大阪商工会議所秘密会所の丁稚見習いである。
「幾松どん、ようおこし」
ガルデ・メゾムのビジネス・スーツに包まれた、ハリウッドピンナップガールのようにメリハリの効いたプロポーションから艶やかな声がほほえみかける。
「わての顔、覚えてくれてはったんでっか?」
「あたりまえやん、ウチこれでも大阪商工会議所秘密会所の秘書やねんで。幾松八番の活躍はよう聞いてるよし、定吉ネ−ムにも負けてへんて噂しやしぃ」
秘書の万田金子が「幾松 八番」のことを覚えて居てくれたことが永尾輝彦は嬉しかった。ミス十日戎だったB86D W53 H87の美女に何百人もいる「幾松」ネームから抜きんでているといわれ 嬉しくないはずがない。
「今日はどないしたん?幾松ネームのあんたを御隠居はんが呼ばはるやなんて、なんか大事でもあったん?」
「わてもようわかりまへんねん。なんでっしゃろなぁ」
一介の丁稚見習いに過ぎない「幾松」ネームに直々の呼び出しが掛かることなど異例中の異例である。
インターフォンからしわがれた声が響いた。
「金子はん、幾松八番が来てるやろ。通したってんか。」
「はい、ただいま」
あわてて、万田金子はインターフォンを取り次ぐと「幾松 八番」を奥の部屋へとうながした。
大阪商工会議所秘密会所。関西経済界の親睦と発展を標榜した大阪商工会議所の裏の組織であり、関西経済界の敵となりうるあらゆる組織に対する、カウンターテロ組織、秘密諜報室の役割を担っている。特に、汎関東主義を掲げる東側秘密結社「NATTO」との死闘は「定吉七番は丁稚の番号」や、「定吉七番
六本木から愛を込めて」「定吉七番は二度稼ぐ」などの映画で知られる。
そして、その大元締め「船場の御隠居」こと千成屋宗右衛門が樫の机の向こうから鋭い眼光を放っていた。
「ようきたな、お前はんの活躍は よう聞いてるで」
樫の机の側には、幾松八番の直属の上司 小番頭の雁之助と武器開発担当の中番頭「はも切り九作」が立っていた。雁之助がファイルを御隠居に渡しながら、言葉を次ぐ
「幾松、お前今年で何年目やった」
「ご奉公に上がらしてもろて、三年になりますぅ」
「掛け取りは何回ぐらいや?」
「四回になります。そのうちの一回は・・・」
「幕張メッセに輸入米持ちこもうとしたアメリカ人と、それとつるんどった関東もんを始末したそうやな」
「へぇ、定吉六番の手伝いで・・」
「それと この間はNATTOの二重スパイを上げたな?」
「へぇ、そうだす」
幾松はそうそうたる顔触れに怖じ気づきながらも、なぜここに自分が呼び出されたかに気づいた。大規模な掛け取りがあるのだ、それも大福帳さえ持たない危険でイリーガルな掛け取りが。どうやらそのメンバーに選ばれたらしい。
「まあ、なかなかな仕事ぶりやな、二重スパイは一人で上げた手柄らしいしの」
幾松の経歴ファイルに目を通しおえた、御隠居が長原地紋の煙管に手を延ばしながら話しはじめた。
「おかげで、あんときのスパイから、貴重な情報が漏れるのが防げたしな。
あれは今頃 大阪湾で魚と楽しゅうやってるやろ。 な、雁之助はん」
「へぇ、新空港の方で土が足らんゆうとりましたさかい、ちょっとは足しになったんちゃいまっしょろか」
蒸かし過ぎて皺だらけになった難波蓬莱551の肉まんの様な顔が幾松に向き直った。
「今日、あんたを呼んだんは他でもない。あんたに定吉ネームをやろか思てな」
・・・定吉。
幾松は我が耳を疑った。奉公に上がって以来、いつかは成りたいと思っていた「定吉」。
それに成れるのである。これまでの丁稚見習いから、丁稚に昇格するのである。これで船場汁がおかわりできる!のである。
それは大阪商工会議所秘密会所直属の諜報丁稚であり、武芸とそろばんと商才に優れ、関西経済界すなわち西側の権益を守るためなら殺人さえも許可された一流の丁稚のコードネームである。
「へぇ!おおきに!」
「まあ、これからも精進しいや それでな早速 丁稚の初仕事や。あんじょうがんばったんてんか」
人使いの荒さは船場の伝統であった。
..
「定吉、その大福帳をよう読んどき。今度の掛け取りを説明したるさかい」
部屋の中央の机が二つに割れるとモニタとAVシステムが競り上がり、画面に織田裕二を吉本新喜劇に崩したような顔が映し出された。雁之助の声が響く。
「世良浩司。国籍アメリカ、職業軍人、河内長野出身、88年まで道修町新見兄弟薬物商店に勤務。マーシャルアーツとライフル射撃を得意とする。英語、アラビア語に精通し、播州弁を少々あやつる。簿記1級を保持。」
「この軍人さんがどうしはったんでっか?」
「こいつの米軍海兵隊ちゅうんは表の顔や、ほんまは、わてら大阪商工会議所の物流部秘密渉外担当でな、今度の湾岸でのごたごたであんじょういかんようなった、関西と中東の交易ルート維持に飛び回ってたんや。」
「へぇ、そやけど けったいな人でんな、河内長野生まれのアメリカ人いうのはなんでっしゃろ?」
「国籍がアメリカっちゅうだけや。こいつんとこは戦後進駐軍の通訳としてやって来た日系人でな、闇市に放出品横流ししたりして大儲けしよってな、そのまんま大阪にいついたんや、そやからアメリカ人ゆうても血は大阪商人や」
けったいなやつもいたもんである。
「お前、夕べのリムジンバスの事件知ってるやろ」
「へぇ」
「あれにな、これが巻き込まれた。」
「ほな もう仏はんでっか?」
「いや行方不明や。バスに乗っとったかどうかも分からんが、あれ以来こっちに連絡がないんや」
「それでわてに捜せと?」
「ことはそんな簡単なことちゃうんや。」
続いて、黒い四方体と黒焦げたコンパクトのような物が映し出された。
「現場でこないなもんが見つかっとる。何者かは今、大阪府警とこっちの共同で調べとるけど、なかなかうまいこといかん。」
「黒いんはマイクロフィルムでっか?」
「そうらしいが只のフィルムと違うんや。それにな、裏でNATTOが動いとるらしい。それがなんでか調べてきてほしいんや」
初仕事からいきなりNATTO相手と聞いて 定吉は武者震いに震えた。
「NATTO」
それは「全関西人の朝食に納豆を!!」をスローガンにし、汎関東主義に凝り固まった悪の秘密結社。関西の文化、伝統、経済のありとあらゆるものを敵視し、破壊しようと暗躍しているのである。
「へぇ、初仕事、気合入れてやらさしてもらます」
「ほな、装備品渡すさかい下いこか」
はも切り九作について地下二階へ向かう。そこでは大阪商工会議所のハイテクを駆使した武器が 日夜開発されているのである。扉を開けて倉庫の様なエリアを抜けると 左手に火器類の実験場、右手にはこれまで開発されたり、敵から奪取した武器が説明パネルと共に飾ってある。幾松改め定吉がここへ来るのは始めてであった。
物珍しげにあたりを見回していた定吉は案内されたテーブルに直径30cmほどのケーキを見つけた。こんがりと焼けたそれは表面にひげのコックの可愛らしい焼き印が押されたチーズケーキである。
「中番頭はん、これなんでっか?」
「これか、ニポリト三型の対人爆弾や」
旧ドイツ軍が1944年、ベークライトから開発した硝石を一切必要としない火薬ニポリト。プラスチック爆弾の元祖といえ、その形状、素材感はいかようにも加工可能であった。
「これで、爆弾でっか?」
「そや、今ミナミではやりのリクロー印のんにしてある。関東もんは行列とかにしとる店に弱いさかいな。行列でまっとる奴に、『これ分けたるわ』いうたらほいほい持っていきよる。『温めなおして食べてや』いうて渡したるやろ、ほんなら帰ってからボン!!
いう寸法や。
昔、NATTOの連中が作った蛸焼き型のんを改良したんやけどな」
「へぇ これ二つ割りとかできまんの?」
「使う直前にちょっと温めなおすだけや、形はどうでもかまえへん」
「こっちはなんでっか?」
阪神タイガースイエローのメガホンを指して 定吉が聞く。形は明らかにメガホンであり黄色く塗られているが、その材質はどうやら金属のようである。
「これか、カール・グスタフ改−甲子園スペシャルや」
いやはや、もとは無反動対戦車榴弾砲なのであった。
「信太山の駐屯地から分けてもろたんを町中でも使えるよう、対人向けに威力弱めたりして形も変えてある。これやったら甲子園に来てる関東もんを球場の喧騒にまぎれていてまえる。射程も長いからな安い外野から
内野でもグラウンドでも大丈夫や」
「そやけど重いんちゃいます?」
「これでも軽うしたんや。5kgしかあらへん。こっちの池田屋特製スーパーボール型弾頭を込めても6kgいかへんねんからがまんしい」
「わて、シュワルツネッガーちゃいますで」
定吉のぼやきを聞き流して、九作は装備品の説明を続ける。
「こっちの電子手帳はICカードも使える新製品や、パソコンにつなぐアダプターもつけたる」
「中番頭はん、それやったらわての行ってるデンデンタウンで安う買えまっせ」
定吉は伊達に電器商店協賛会事務局に勤めているわけでは無かった。
「あすこにあるんはICカードが使えるだけやろ。
これはこっちのICカード型マガジンを入れると、装弾数12発のオートマチックになるんや、口径は3mmやけどな、対人殺傷力は充分や」
九作も伊達に武器開発を行っているわけではなかった。
付き添ってきた雁之助がくちを開く。
「お前、いま柄物は何使うとる?見してみ」
「堺、今坂の出刃包丁と、東洋電材の232Cケーブルだす」
いくたの困難を切り抜けた頼もしい相棒をテーブルにだす。
「どない思いまっか、九作はん」
「ふうん 、婦人もんだんな」
出刃とケーブルに一瞥をくれた九作はテーブルに置かれたさらしの包みを開く。
「今日から、これ使い」
中からは柳刃より薄く細い包丁と、232Cケーブルより太いケーブルが姿を現す。
「鳥羽琳玄(トバ リンゲン)の勇魚おとし(鯨解体用包丁)でっか。また、すごいもん出してきましたな」
雁之助が感嘆する。
室町時代末期、度重なる戦乱のなか 刀鍛冶として名を馳せた禅僧 琳玄。彼は多くの名刀を打ち出したが
その合間に数々の包丁も鍛えていたのである。彼が鍛えた包丁は薄刃でさえ鯛の兜を割ると評判を呼ぶほどの業物で、当時の中国、明を通して遠くヨーロッパにまで伝えられたという。
その中でも伊勢神宮の包丁式がために鳥羽で鍛えられたと伝えられる「鳥羽琳玄」の包丁一式は「富士見西行」と並び称せられるほどの逸品である。なお、現在統一ドイツの刃物の町「ゾーリンゲン」の名は、この僧、琳玄に由来するという。
「それと、こっちは旧西ドイツのラインメタルとデュポンの共同開発になる特製S
CSIケーブルや。ハイインピーダンスで20メートルでも減衰せんようなってるし、電磁シールドはチタン合金とケブラーの編み混みやからランボーナイフでもびくともせん。それに232Cケーブルより太いさかい、絞殺の圧迫痕がつきにくい。ええことづくめや」
それでも、定吉には愛着のある出刃と232Cケーブルの方に未練が残る。
「そやけど、わて 手に馴染んだほうが・・」
「あかん。
定吉ネームの男衆に半端なもん持たせてやられたとなると武器担当の名折れや。
これをお持ち」
最前まで 幾松八番だった定吉に これ以上逆らえるはずもなかった。これまで、幾多の危険を共に乗り越えてきた、出刃とケーブルに別れを告げるように定吉は顔を上げた。
「この装備を支給したるさかい広島にとんでんか。あっちで世良浩二の情報を受けるはずやったもんが
先に色々調べてるさかい」
「広島でっか?」
「そうや、今度の件は大阪と広島両方に関わることらしい。世良浩二も広島支局に重大な情報あり
と停戦直前に 猪木らイラク訪問団の河内音頭師に伝言してきてたんや。」
あのイラク訪問団にも、大阪商工会議所秘密会所の手の者がいたのであった。
「広島商工会議所も動きはじめたらしいさかい、抜け駆けされんよう気い付けや」
「小番頭はん、ところで、わて聞き忘れてましてんけど、わては定吉の何番でっか?」
「おおそうか、言い忘れ取ったな。お前は十一番や」
定吉十一番、ナポレオンソロであった。